始終/しょっちゅう/のべつ の共通する意味
ある事柄が途切れることなく続いて起こるさま。「しょっちゅう」の例文・使い方・用例・文例
私の父はゴルフ狂で、週末はしょっちゅう家を空けている。 私は歯医者へしょっちゅう行きません。 しょっちゅう私はそれらを着るのを忘れていました。 彼らにしょっちゅう噛まれています。しょっ‐ちゅう 〘副〙 (「しょちゅう(初中)」の変化した語か) 始終。 いつも。 常に。
「しょっちゅう」の用法は?用法
- 「しょっちゅうの~」の形で名詞を修飾できる。 竜土会では、酒がはずんだ。 議論はしょっちゅうのこと、喧嘩も折々はあった。(
- 「~しょっちゅうだ」「~しょっちゅうである」などの形で述語になれる。 雨も時々まじったが、何より風の強さに驚いた。 島の人に訊きくと、こんな風ならしょっちゅうだと言う。(
「しょっちゅう」の別の言い方は?
短い間隔で、何回も の意
- 屡屡
- 再再
- 往往
- しげしげ
- 屡々
- 始終
- 頻繁
- 間間
日常で「しょっちゅう」というと、いつも、ふだん、終始の意味で使われます。 これは仏教語「初中後」の略です。 経典の中には、仏様の説く教えを讃える表現として「初めにも善く、中にも善く、後にも善く」と出てきます。 この言葉を「初中後善」といいます。
始終としょっちゅうの違いは?
始終/しょっちゅう/のべつ の使い分け
「始終」は、始めから終わりまでの意味から、状態が持続する場合に用いられる。 「しょっちゅう」は、ある事柄が頻繁に起こることを表わす場合に用いられる。
日常で「しょっちゅう」というと、いつも、ふだん、終始の意味で使われます。 これは仏教語「初中後」の略です。 経典の中には、仏様の説く教えを讃える表現として「初めにも善く、中にも善く、後にも善く」と出てきます。 この言葉を「初中後善」といいます。
「しょっちゅう」の例文は?
しょっちゅう
- 最近、しょっちゅう自転車がパンクするようになってしまった。
- あの人は、しょっちゅう宿題を忘れている。
- あの会社のCMは、最近テレビでしょっちゅう流れている。
- 疲れがたまっているからか、しょっちゅう仕事の夢をみる。
- うちの猫は、しょっちゅう風邪をひいている。
- うちの両親は、しょっちゅう喧嘩をしている。
短い間隔で、何回も の意
- 屡屡
- 再再
- 往往
- しげしげ
- 屡々
- 始終
- 頻繁
- 間間
絶え間のないさま の意
- 止め処無く
- 続続
- のべつ幕なし
- 引きも切らず
- いつも
- 始終
- いつでも
- 留め処なく
「始終」は、一定の時間軸のなかで何度も起こることで、「いつも」「絶えず」と言い換えられるぞ。 「終始」は、一定の時間軸のなかで、「ずっと」「常に」「最後まで」続く、続けるという意味で使われるね。
ビジネスで「最初から最後まで」の言い換えは?しゅび-いっかん【首尾一貫】
「首尾」は始めと終わり。 最初から最後まで。
勘違いを別の言い方で何といいますか?誤った解釈をすること の意
- 心得ちがい
- 取違え
- 誤認識
- 考え違い
- 思い違い
- 心得違い
- 誤解
- 勘違
初めから終わりのことを何という?
「貫徹」はやり通す、貫き通すこと。 最初から最後まで。 終始。
しゅび-いっかん【首尾一貫】
「首尾」は始めと終わり。 最初から最後まで。誤った解釈をすること の意
- 心得ちがい
- 取違え
- 誤認識
- 考え違い
- 思い違い
- 心得違い
- 誤解
- 勘違
自分の「勘違い」を「認識違い」と混同しない
自分の勘違いにより相手との意識にズレが生じた場合は、自分に非があることを認めた上で丁寧に謝罪しましょう。 お詫びメールを送る際は、「認識違いにより」ではなく、「私の勘違いにより」という言葉を使います。