近世以降は、五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから、「四国」と呼ばれた。四国・香川県は、旧国名では、讃岐国(さぬきのくに)と呼ばれていました(※)。 「讃岐」は、古い文献には「狭貫(さぬき)」と記されることもあり、これは東西に細長い地形に由来しているといわれています。その昔、伊予の国と呼ばれ、関ヶ原の合戦後全国的に、徳川氏・江戸幕府の支配が行き届くようになり、伊予の国でも親藩・譜代・外様の大名をうまく配置して八つもの藩がありました、親藩の松山・今治・西条藩と天領は瀬戸内海沿岸の交通の便の良い、よく肥えた耕地の平地部に配置され、外様大名の吉田・大洲・新谷・宇和島・小松藩はすべて四国 …
徳島県は昔は何と呼ばれていた?徳島県は古くは「阿波」と呼ばれた。 ではいつ頃から「徳島」という呼び方をされるようになり、何に由来するのだろう。 歴史書をひもとけば、戦国時代末期の1585年、阿波に入国した蜂須賀氏が現在の徳島中央公園(徳島市)に城を築き、周辺の地名を「徳島」と定めたのがその始まりとされる。
香川県は昔は何と呼ばれていたのですか?
なお、香川県の旧国名である(「さぬきうどん」でおなじみの)「讃岐」については、狭貫、佐貫などとも書き、むかし、朝廷へ「調」として矛竿(ほこさお)を納めたことから、「竿調(さおつき)国」と称したことにちなむとも、東西に細長い地形から「狭貫」と書いたともいわれています。その後、やはり名東県では不便だということで、1875年(明治8年)に名東県から旧讃岐国が香川県として分離し、1回目の復活となった。 しかし、1876年(明治9年)に香川県は愛媛県に編入された。 この時、四国は愛媛県と高知県の2県だった。
「伊予」とはどういう意味ですか?
いよ【伊予】 旧国名の一。 現在の愛媛県にあたる。 予州。
美しい乙女の国を意味する「愛媛(愛比売)」は、その名にふさわしく自然もおだやかであり、しかも女性的である。 「愛媛(愛比売)」の名は古事記の伊邪那岐命と伊邪那美命の二神の国生みを記した所にみえ、「次に伊予之二名島を生みき。
徳島城は誰が作ったのですか?
天正13(1585)年,豊臣秀吉の家臣だった蜂須賀正勝・家政父子が阿波国を与えられて,新しく徳島城を築いて居城にしました。四国は現在、愛媛・香川・徳島・高知の四県から成りたっているが、明治政府の府県統合政策が迂余曲折していた間に、香川県は愛媛県と、徳島県は高知県と併合され、四国は二つの県域から成っていた時期がある。しかし、1876年(明治9年)に香川県は愛媛県に編入された。 この時、四国は愛媛県と高知県の2県だった。 その後、1888年(明治21年)に現在の香川県となり、2回目の復活を遂げた。 この時、現在の47都道府県体制がほぼ確定し、四国も現在の香川県・愛媛県・徳島県・高知県の4県となった。
高知県の人たちが選ぶ「四国地方で田舎だと思う都道府県」の第1位は「徳島県」で、94.7%と圧倒的な得票数でした。
伊予の名前の由来は?また、伊予神社の社地にあった弥光井神社(別名真名井神社)の祠近くに、年中きれいな水が湧き出る場所があり、目の病気に効能があると伝えられていたそうです。 この湧き水を、昔の人は「いゆ」と呼び、転じて「いよ」、「伊予」という地名の由来になったという説があります。
愛媛県の名前の由来は?「愛媛」の名称は、国生み神話に登場する女神「愛比売」(えひめ)の名に由来するもので、県名としては全国で唯一、神の名前が付けられています。 イザナギとイザナミによる国生み神話において四国は2男神・2女神の島として誕生し、伊予国(現在の愛媛県)に宿ったのが女神の一人「愛比売」とされました。
愛媛県の名前の語源は?
堀口:古事記の「国産み」という神話によると、日本は淡路島が最初にできてその後にできたのが四国なんですね。 そこで誕生した女神様が「愛比売(えひめ)」という名前なんです。 神話の中の神様の名前を県名にしているのは愛媛県だけなんですね。
阿波踊りの起源に諸説ある中で、「徳島の人々が日ごろのストレスを発散するために踊りだした」という説が有力だそうです。 もともと、阿波の国は温暖な気候で、農業や漁業も盛んな土地ではありましたが、山が多く、海に面していたため水害も多かったようで、この地では質素倹約が伝統となっていました。徳島市では、毎年 8 月 12 日から 15 日まで日本最大級の阿波おどりが開催され、100 万人以 上が訪れます。 阿波は徳島県の旧称で、Odori は「踊り」を意味します。 阿波おどりという言葉は、 祭りと踊りの両方を指す場合があります。政府は3度目の府県統合を実施し、明治9年8月に香川県は愛媛県に編入されます。 四国では名東県も高知県に編入されています。 讃岐を合わせた愛媛県庁は松山に置かれ、高松はその支庁(後に出張所)となります。 讃岐では以来12年余り愛媛県時代が続くことになります。